イヌやネコたちと共に暮らす人々と100CLUBとの日々


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10年経っても飼い主を忘れない

先日、以前コラムでとり上げた「ユリシーズの涙」をまたこのブログに書いてしまった。
ずいぶん焼きが回ったなぁと、少し落ち込んでしまったのだが、どうしてももう一度その愛読書のことを書かねばならなくなった。
「ユリシーズの涙」は、犬と人間にまつわるエピソードが43章からなるエッセイにつづられている。
その第一は、当然表題にあるユリシーズについてのエピソードである。

「ユリシーズ」とは、ホメーロスの「オデュッセイア」(英名・ユリシーズ)の主人公で、紀元前8世紀の作品と言われている。
そのユリシーズの中の挿話を「ユリシーズの涙」ではとりあげている。

国を追われたユリシーズが、復讐のため10年ぶりにボロ衣を纏い変装して故国に姿を現した。旧知の人々が誰一人見抜けない中、故国に残していった愛犬アルゴスだけが見抜いてしまい嬉しそうに尾を振った。それを見たユリシーズは、アルゴスに駈けよって抱きしめたい気持ちを抑えて、知らぬ振りをして通り過ぎた。
その辛さに涙した、その涙さえ誰にも悟られてはならなかった。
10年ぶりに飼い主に再会したアルゴスは、そんなユリシーズを見送った直後に静かに息を引き取った。

犬と暮らすということは、いろいろな理由によって否が応でも別れが待っている。
そんなことは言われなくも誰でも分かっていることだが、そこには触れないように目をそむけている。
そして、その別れの痛みは、それぞれの感性や価値観によって大いに異なると思う。
同時に、その痛みは本人以外に分からない。
何故なら、人間同士どころではない、その犬と飼い主との濃密な関係には、他者が窺い知ることなどできない深い物語があるのだから。
by threewedge | 2013-11-29 16:53 | Comments(0)

グレーと言われているペット社会

これまで、100CLUBのコラムやこのブログでもときどき書いてきたことなのだが、犬キチが高じて馬肉の販売をするようなことになってしまったことを少なからず後悔しているところがある。
要するに犬を趣味で飼っていればよかったのに、生体はやらなかったまでも、その食餌を販売することに手を染めてしまったことを悔やんでいる。
先日、NPAさんが主催されたルアー・コーシング・ジャパンカップを見学に行って、見学しているより、大会に参加して飼い犬が夢中で走っている姿を見て、ワクワク、ドキドキして楽しんでいる側にいた方がどれほど楽しいことだろうと、しみじみ感じたのだ。

「それでもイギリス人は犬が好き」という本を読んでみて、イギリスにおける犬文化の成り立ちについて学ぶところが多かった。
どうしてその本を買ったかというと、荒俣宏の書評を読んだからだ。
その書評の中で荒俣は、「・・・ペット業界はグレーなところがある・・・」と述べた。どういうところがグレーなのかについて具体的に書いてはいないのだが、長いことこの世界にいる身にとっては、およその見当がつく。

それが分かっているために、100 CLUBは業界に距離を置いていて意図的に孤立した立場にいる。
それでも何故か時たま業界紙が送られてきて、たまたまそれを読んでみると、正直気分が悪くなってしまう。
その理由は、愛すべき犬や猫たち、そして、その者達を愛して止まない子供たちを含めた人々を金儲けのネタにして、偽善の限りを尽くしていることがあからさまに表されているからだ。

こんなことを言うと、また余計立場を悪くし孤立することになってしまうかもしれないが、これほど不健全な、荒俣が言うところの「グレー」な業界に加わることなどとてもできない。
先だって亡くなってしまった天野祐吉がコラム「CM天気図」に書いた「金々節」を絵にかいたような業界の体質にはとても着いていけない。
これからも苦しくったって、吉田松陰ではないが至誠の道を歩み続けるほか手がないと思っている。
by threewedge | 2013-11-20 14:27 | Comments(0)

天高く犬走る秋

先月、台風で中止になってしまったNPA主催のルアー・コーシングの大会に招かれ幕張に行ってきた。
今日は秋晴れで絶好のコンディションの中、100m競争が、小型犬、中型犬、大型犬などそれぞれのカテゴリーに分かれ競われた。
ウィペットだったかイタリアン・グレーハウンドだったか定かではないが、トップのタイムが7秒台で、ウサインボルトよりはるかに速いので驚いた。
ダックスもフレブルもコーギーそしてMIXの子たちも走ったが、10~12秒台だったが、とにかくひたすらルアーを追いかけて、オーナーさんもまるで子供の運動会を応援しているかのように楽しんでおられた。
およそ100組の参加者が集まって、それぞれがテントを張ってお茶を飲みながら歓談し、レースではあちこちで歓声が上がり、ただ見学していても楽しいのだから、参加者の皆さんにとっては格別なドッグライフの一日だったのではないだろうか。

今、犬を飼っている世帯はおよそ35%(ペットフード工業会調べ)だといわれていて、これがアメリカでは65%にも上るのだそうだ。
いずれ日本もアメリカ並みになるのだとしたらそれはそれで素晴らしいことだと思うのだが、あくまでもその生活が今よりも健全なものでなくてはならない。

今日のルアー・コーシングを見ていて、犬と一緒に遊ぶスポーツはアジリティーやディスクなど様々あるのだから、犬の総合スポーツ施設を作って、そこで思い切り犬と遊び楽しむことができるなら、それこそ健全な犬社会を実現する単著となるのではないだろうかと思った。
そうしなければ、借り物の広場でコースを設営したり、とにかく運営が大変で、すべての参加希望者の受け入れができない状況なのだ。

東京オリンピックもいいけれど、犬のオリンピックがあってもいいし、どんなジャンルであれ誰でもが参加できる催しを常時開催できるような施設を何とか作ってもらえないだろうか。
駒沢公園のドッグランでは、犬は思い切り遊べないし、もしそんなことをしたら大怪我をしてしまうだろう。そんなのはドッグランでも何でもない。
オリンピックの1000分の1以下でも充分な施設は出来るし、それを運営する人材はすでに揃っている。
それが実現すれば、世界に誇れる愛犬天国の日本になるに違いないと思うのだが。
by threewedge | 2013-11-17 18:30 | Comments(0)

違いが分かる人

多分、誰でも知っている「違いが分かる男」という何十年も続いているTVCMがある。
毎年のように変わる歴代のキャラクターを思い浮かべると、確かにこの人は違いが分かる人なのだろうと納得するところがある。
しかし、二つの点において合点のいかないところがある。
その一つは、この商品がインスタントコーヒーだということなのだ。
決してインスタントコーヒーをけなしている訳ではないが、いかにも違いが分かっている男に違いないと感じられるキャラクターが、インスタントコーヒーはないだろうと思う。おそらく、そのギャップの面白さが狙いなのかも知れない。
二つ目は、何故「違いのわかる女」では駄目なのだろうか、ということだ。
多分、このコーヒーの消費者が圧倒的に男性であることが理由だと思う。ビールのCMも男性のキャラクターがほとんどだと思うが、いまどきは、コーヒーもビールも女性をターゲットにしたらどうなのかと余計な事が頭に浮かんだりした。

余計な事を書いてしまったが、一体、何が言いたかったのか頭を整理して最初に戻ると、「違いが分かる男」と言うのなら、違いの分からない男もいることが前提になるのは自明だ。
永い間、違いが分かる人と分からない人との差がどうして生まれるのか、それをいくら考えても分からないことに悩まされている。

何でこんな話を長々書いたのかと言うと、一昨日8時の閉店間際に、馬骨のスープを教えて頂いたお客様のHさんがみえて、ラーメンのうんちくを一時間近く聞き、そのラーメン話に正直感銘を受けたからなのだ。
内容をここに書き表すことはとても叶わないが、これまで限りがないほど聞いてきたラーメン話で、これほど感心して聞き入った体験は無い。
今、Hさんは、ラーメンだけでなく、犬のカートが前面に付いた自転車の開発に熱中しているという。
4頭の犬たちと暮らしている大の愛犬家で、なお違いが分かる男に違いないHさんが作り上げる自転車の完成が楽しみでならない。
by threewedge | 2013-11-16 23:02 | Comments(0)

犬は飼い主のウォッチャー

どこぞの大学の教授が、飼い犬の顔とか目は飼い主に似る、という研究を発表したというニュースを目にした。
このようなことは昔から言われたことだと思うのだが、学生による統計学的見地からそのような結果が出たらしい。

永いこと沢山の犬たちと暮らしてきたが、自分はそのようなことに思い至ったことはない。
しかし、100CLUBの仕事を通じて多くの飼い主様にお会いし、その飼い犬たちを見てきた体験上、飼い犬は飼い主の性格に大きく影響を受けるものだという感じを持っている。
犬や猫たちを単に飼育するだけではなく生活までを共にまでする行為は、普遍的な意味においてヒューマニストとしての発露なのだと思っている。
ヒューマニストのもつ愛の概念は、人間と人間の関わりにおいてのみ発現されるものではなく、人間以外の生命に対してもその愛の対象となり得るのだと思う。

平たく言えば、犬や猫たちを愛して止まない人々は、きわめて愛情あふれる人間的な方であるということができるのだと思う。
したがって、人間から一時も離れたがらない犬たちは、否応なくその飼い主様の性格、もっと言えば人格に影響を受けざるを得ない立場にあるといえる。
犬などは、四六時中人間観察をしていて、ときには腹の中まで見抜いているのではないかと思うことすらある、なかなか油断のできないパートナーなのだ。
by threewedge | 2013-11-15 16:35 | Comments(0)

ポール・ヴァレリーと犬の話

フランスを代表する知性とまでいわれる詩人、ポール・ヴァレリーの全集が本をまとめておいた段ボールの一つからようやく見つかった。
ジブリ映画の「風立ちぬ」のベースは堀辰雄の小説「風立ちぬ」と言われているが、ヴァレリーの詩「海辺の墓地」を翻訳したのが堀辰雄で、その「海辺の墓地」に「風立ちぬ いざ生きめやも」という一節がある。

何でこんなことを言っているのかというと、ロジェ・グルニエが書いた「ユリシーズの涙」という、私にとっての座右の書の一冊があり、その一章に、ヴァレリーと愛犬との興味深いエピソードが出てくるからである。

亡くなったヴァレリーのお墓は、セットという港町にあって、それこそ「海辺の墓地」なのだが、そこには墓参に訪れる人が絶えることがない。
ある観光客が墓苑の警備員に「ヴァレリーの墓はどこか?」と尋ねると、突然、「ヴァレリー!」と叫んだという。すると、かつてヴァレリーの愛犬だった犬が出てきてヴァレリーの墓まで案内してくれるのだそうだ。
生前のヴァレリーと愛犬との生前の生活がしのばれる心温まるエピソードだ。

また、ヴァレリーの名言の一つとされるものに
「狼は草に依存する子羊に依存している。草は狼によって守られている。肉食動物は草木を保護するが、草木は間接的に肉食動物を養っている」
この言葉はまさしく、100CLUBの食餌のコンセプトと寸分変わらない
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by threewedge | 2013-11-13 12:44 | Comments(0)

すっちゃかめっちゃか

ずいぶん前の話になるが、青山に「わくわくハウス」というセミナーハウスがあって、そこで毎週土曜日に「100CLUBによる犬の食餌セミナー」を開いていた。
午後3時からスタートして5時間ぶっ通しで、どちらかといえば様々な質問に私が答えるという、セミナーというより犬育ての茶話会の様なものだった。

しかし、そこには動物園の園長さんとか、当時、ペットフードジャーナリストとして名をはせた坂本徹也氏とか、私の知己も集まってそこそこに盛り上がっていたのだが、5時間でお茶菓子出して1千円という運営なのだから、毎週大赤字になるのは必然で、およそ半年くらいで残念ながら止めることになってしまった。
そこでセミナーに参加した方々の大半は、犬のトレーナーだったりしつけの先生などで、その人たちは5時間千円で私の話を聞いて、自分たちは犬の食餌のセミナーを開いて、1時間4千円も5千円も稼いでいるのだから、こちらとしてはやっていられない気持ちにもなってきた。

ある日、3人の若い女性がセミナーにやってきた。
その方たちがどんな立場なのか聞いてみたところ、3人ともが同じ名刺を出した。
ドッグトレーナーのプロだというのだ。
どちらで勉強されたのですか。と尋ねると、オーストラリアの何とかドッグスクールに2週間行ってきました。
そこでどんな勉強をしたのですか。と、尋ねると、オーストラリアでは飼い主さんの家にトレーナーが出張し犬のしつけやトレーニングをやっているので、私たちはそこについて行って見学をしたのです。
そこで資格を得て、この名刺を以てこれから日本でお仕事がしたい。そう言うのだ。
もう一つ聞きたいことがありますが、3人の中で犬を飼っている方おりますか。と尋ねると、犬大好きなんでこれから犬を飼ってみたいと、3人が口を揃えて言う。

犬を飼った経験もなく、たった2週間オーストラリアに行ってトレーニングの見学をしただけで、こんなに立派な名刺を作って商売をしようという驚くべき勇気に唖然としてしまった。
それに比べるとこちとらは、どれだけ莫大な月謝を払って今があるのか、その子たちに話したところでとても通じるとは思えなかった。


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by threewedge | 2013-11-11 15:19 | Comments(0)

溺愛しなきゃ意味がない

誰しもが、自分の育てている犬や猫たちが世の中で一番可愛くてかけ替えのない存在だと思っているに違いない。

純血種では、それぞれの犬種、猫種でスタンダードを競って順位を争うことに血道をあげている人たちがいる。
純血種の場合、そのスタンダードの客観的な評価基準を一定に保つことなしには純血種の存在の意味がなくなってしまうのだから、このようなコンクールの意味合いは理解できる。
また、フリスビーやアジリティ、ルアー・コーシングなど、さまざまスポーツをやることで、それぞれの犬の能力を競いそれを楽しむことも盛んに行われている。
しかし、そのようなことには一切関わらず、ペットとしパートナーとして犬や猫たちと暮らしておられる方が圧倒的多数を占めるのではないかと思う。

犬たちを飼うことで、その意味合いが人それぞれで、そこに何の問題もないと思うのだが、どのケースにおいても犬が健康であることが大前提となる。

以前のスタッフ犬、シェパードの「レイ」は、当時日本のシェパード界では名血の仔として、しかも同胎から1~2の仔が選ばれ私がその一頭をいただいた。
そして、「馬肉」、「カルシウム」、「ヴェジタブルズ」だけを与え、また訓練など一切なしで育て上げた。
ショーに出る資格も何もないので客観的な評価はゼロなのだが、私の目から見れば、これほど立派なシェパードは何処にもいないし日本一だと自画自賛している。

犬でも猫でも、また純血種であろうとMIXであろうと、自分の育てている子が自分にとって何にも勝って最高だ。と、そう思うのが当然であり、人間の子育てでは溺愛は厳禁かも知れないが、犬や猫たちはいくら溺愛しても足りるということはないだろう。
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by threewedge | 2013-11-10 11:24 | Comments(0)

誤表示って何?

「食」の偽装問題については馬肉業界でも、今年は信州、熊本と2件が発覚して激震が走ったのだが、このところの一流といわれるホテルや老舗のデパートで連日発覚した食品表示偽装については、被害者は消費者に決まっているのだが、加害者側の真実が一向に見えてこない。
見えなくてもおよそ想像のつく話ではあるのだが、やはりうやむやにするのではなく、ことの本質をきちんと明らかにしなければならないだろうが、そうなるかどうか。

100CLUBとしても決して他人事ではなく、犬の餌なのだからそれほど厳格でなくてもいいだろうというようなお気楽な姿勢でこれまでやってきたわけではない。
むしろ、誰もやってこなかった食品表示と同等の義務を自らに課してきた。
しかし、あくまでも小売り業者である以上、メーカーが信頼出来るかどうかが重要な問題ではあるが、なお、それをチェック出来なければならない立場でもある。

今年から、安全、安定供給を目指すために、秋田産馬肉も加えて仕入れ先を3ルートにした。
そこまでやるのか、という声もあったのだが、そうしなければ、ホテルやデパートのようなとぼけた説明で済むような大所帯ではないのだから、小商人としては精一杯の良心と誠意を商品に込める以外に生きる道はないだろうと思っている。
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by threewedge | 2013-11-06 17:34 | Comments(0)

6年前の犬の記憶

犬は家族の一員だ、という言い方が一般的になってきた。
自分も時たま使う言葉ではあるのだが、まったく違和感をもたないわけではなかった。
擬人化が過ぎるのではないかと思っていたからだ。

ところが、このところフェイスブックとかを始めて、その機能すら未だよく理解していないのだが、とにかく画像を用意しなければならないとのことで、フィルム時代のものも含めこれまで撮りためた写真を改めて振り返る機会が得られることになった。

そこで気づいたことは、家族と犬とが絡んだ写真を観ているうちに、やはり犬は家族だといっても何ら差支えないと納得することができた。
そのことに難しい理屈をこねまわす必要はなく、私の誕生日には誰も何とも言ってくれなくて、ハロウィンではバカな騒ぎをしていたとしても、それもどうのこうのと言うこともない。

ここに取り上げた写真は、11月2日のブログ「40年前の犬の記憶」に続き、犬を家族としていた6年前のもので、犬種はシェパードに変わったのだが、飼い主は35年の年輪が刻まれて大いに変わってしまった。
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by threewedge | 2013-11-04 13:28 | Comments(0)