イヌやネコたちと共に暮らす人々と100CLUBとの日々


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またまた出ましたペットフードの食害

アメリカのFDA(食品医薬品局)が議会の公聴会で、ジャーキーによる犬の健康被害は、2007年から出始め、今年5月までに4800件の届け出があった。犬5600頭以上が食後に吐いたり、下痢をしたりして1000頭以上が死んだ。6割は胃腸の疾患、3割は腎臓や膀胱に異常があった。

製品に含まれる中国産の原料が関係しているとみられるが、複数のメーカー製で被害が出ており、症状にもばらつきが多く、謎が多い。FDAは、原因解明を急ぐとともに、むやみにジャーキーを与えないよう飼い主に注意を呼び掛けている。

以上のような報道が新聞およびネットになされた。

このような報道は毎年のように繰り返され、今回はジャーキーだが去年はドッグフード、キャットフードで、共通しているのは、いずれも中国産の原料が使用されている点であり、同時に多数のメーカー品が問題に該当することで大量にリコールされている。

この報道をそのまま受け入れるならば、日本で販売されているペットフードやジャーキーの安全性は確保されているのだろうか、ということが心配になってくる。
ペット業界の冊子によれば、いまやペット用品やフード、ジャーキーなどの製品は9割以上は中国産、あるいは中国製であると伝えていて、中国で開かれるペットフェアへの参加を勧誘している。

中国製だろうが何だろうが、安全性がチェックされていれば問題ないのだが、アメリカはまだしも、日本にはFDAに当たるものが存在しないし、そもそもペットフードがリコールされたというような話もほとんど聞いたことはない。

そもそもこのようなペットフードの危険性に警鐘を鳴らし、100CLUBを立ち上げたのは16年前のことで、当時はほぼキチガイ扱いされたもので、誹謗中傷の嵐にさらされた。今でもブログや何かでの発言によっては、その対象にされることは時たまあるのだが、当時はそんなものではなく徹底的にやられまくった。

最も今では馬肉屋さんが大流行で、私一人ではなくなった分風当りが弱くなったのかも知れないが、今度は同業者で足の引っ張り合いになる始末で、何とも落ちく暇もない有様だ。
ペットフードやジャーキーがいかに危険な食餌であるのか、私ごときが16年間骨身を削る思いで警鐘を鳴らし続けてきたのだが、そんなものでは相変わらずの犬や猫の被害状況は変わらない。
買う人が悪いのか売る人が悪いのか、どっちだか分からないが、犬や猫からすればとんでもない迷惑に違いない。
by threewedge | 2014-06-30 16:05 | Comments(0)

過酷な夏の健康法

もうすぐ本格的な夏が来る。
最近の日本の夏は、以前にも増して厳しい高温多湿で亜熱帯化している様相だ。
今日は、そんな季節に向けての犬や猫たちの、とりわけ高齢の生体の健康管理について大真面目な話をする。
自身の歳を考えてみても真剣にならざるを得ないのだ。

犬や猫たちが高齢になると何が起きるのかというと、タンパク質を消化してアミノ酸化する能力が落ちてくるということが最大の問題だと思う。
もうちょっと詳しく言うと、タンパク質をL型アミノ酸に消化分解する能力が減退し、D型アミノ酸になってしまうのだ。それを老化といっても外れていないと考える。
体の各組織がL型アミノ酸を要求しているのにそれが不足しD型アミノ酸になってしまうと、それは身体組織が要求していないため、体外に排泄されてしまうのである。
L型アミノ酸の不足が現象として現れてくるのは白内障で、抹消の毛細血管、神経に老化の諸症状は現れる。

人間の話になるが、近ごろ巷間でいわれている健康法の一つに、歳をとったら肉を食え、というのがある。これなども食べ物の消化能力の衰えを考えれば、炭水化物よりも肉食の方が消化も楽で、生肉ならば余計効果がある。
昨年自身で実践した、炭水化物抜きの食事では、3か月で6Kgの減量という結果が出たが、そもそもダイエットが目的ではなかった。毎月の血液検査でも様々な数値は良好な結果を示し、とりわけ血圧が低下したので降圧剤を一時止めるほどだった。
私たちも犬も猫も、あらゆる動物にとって「食」が生命の源であり、その「食」が理に叶っていなければ生涯の健康などおぼつかないと、相場が決まっているのである。

過酷な夏を迎え、奪われる体力は何らかの方法で補わねばならない。
散歩のやり過ぎは普段でも健康に害を及ぼすことになるのだが、これからの季節はよほど気をつけねばならない。朝晩ならいいだろうなどと思わないで、ほんの5~10分程度近所を巡るくらいで十分だと思う。
そして、出来るなら高齢犬にはL型アミノ酸を与えサプリメントすることで、消化能力の衰えをケアしてあげることが重要だと考える。
いつまでも若々しく元気でいて欲しいパートナーに是非お勧めします。
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by threewedge | 2014-06-27 12:12 | Comments(0)

砧の三峰神社

先日、お客様から、「世田谷ふるさとめぐり てくたくぶっく 用賀・馬事公苑コース」という小冊子をいただいた。
33か所のポイントをめぐり、それぞれに設置されたお印を拓本にとり完成すると記念品がもらえるとのことだった。
最近、神社、仏閣の御朱印巡りがちょっとしたブームになっていると聞いたことがある。

その小冊子に目を通してみたら、上用賀に三峰神社のあることに気が付いた。灯台下暗し、とはこのことか思いながら解説文を読んでいたらちょっと問題があるのではないかと思われる記述に気が付いた。

「三峯神社の本社は埼玉県秩父郡・・・・日本武尊が祀った神社といわれ・・・のちに狼、山犬、猪など、野生の動物から身を守り、諸難を除く神様として関東一円に、その信仰が広まりました・・・」

ここで、・・・狼、山犬から身を守り・・・と言ってしまい諸難の代表のように書かれているのは誤りで、山犬、もしくは狼は、三峰神社のご眷属(神の使徒)とされているのであり、狼、山犬が諸難を除いてくれる神様なのだから、話が逆さまになってしまっている。

発行元に連絡してみようとも思ったが、そんなことに関わりあっている暇もないので、そこに行ってみようと思い、グーグルマップで調べてみたら、何と砧にも三峰神社があり、狼の石像もあるようなので、狼を疫病神のようなことを言っている用賀の三峰神社でなく、砧の三峰神社に出掛けることにした。

2対の石像の写真はFBに挙げておいたのだが、神社の境内の一角に、一輪だけ咲き残ったくちなしの花に目が留まった。
今日も空は暗く、今にも降り出しそうな気配のなか、凛とした真っ白な花一輪が、神社の境内の空気に緊張感を与えているように感じた。
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by threewedge | 2014-06-25 15:58 | Comments(0)

犬や猫たちも、小鳥も金魚もみんな楽しみましょう

家を出て2~3分歩くと、砧公園のバードウォッチングの施設がある。
小鳥を飼うなんて寝言言ってないで、野鳥でも眺めていればいいじゃないか、と言われ、それもそうだなぁと思い出掛けてみた。
二人ばかりの先客がいたので
「どうです!何か見えますか?」
と声をかけてみた。
「いやぁー何にも見えないですねぇ。カラスばっかりですよ」
そう言われたので、早々に引き上げることにしたのだが、家に帰ると
「双眼鏡くらい持っていかなければ見えるわけないじゃない!」
と嘲笑された。

近ごろでは、小鳥も、オオルリやウグイス、メジロなどを飼鳥することは鳥獣保護法によって固く禁じられていて、野鳥を捕まえたり販売することは当然のことで、飼鳥しているだけで罰せられる。
このことで、平安時代から続いてきた飼鳥の文化は途絶えてしまったわけだが、カナリア、文鳥などブリーディングされた小鳥や輸入された、いわゆる洋鳥の飼鳥については違法とはされない。

100CLUBのお客様に愛知県弥富市の方がいらっしゃる。
弥富といえば白文鳥、そして金魚のメッカで、いずれも日本最大の産地として知られる。
お客様を頼って弥富に行ってみようか、そうすれば2つの望みが一挙に叶うことになる。
野鳥は残念なことに飼うわけにはいかないが、弥富の白文鳥と金魚は一歩近づいた感がある。

バードウォッチングは成り立たなかったけれど、砧公園にはアメリカデイゴがちょうど見頃だったので掲載することにした。
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by threewedge | 2014-06-23 11:28 | Comments(0)

遊びをせんとや生まれけむ

この一か月くらい、小鳥と金魚が欲しくてたまらない。
漱石の「文鳥」や内田百閒の「阿呆の鳥飼」を読んでみて、もはや病膏肓に入ってしまった有様だ。

そんな事ならすぐにでも始めたらいいじゃないかと、そういう人もいるのだが、私の過去の体験からすると、それほど簡単に始められるものではないことを身に染みて知っているため、未だ悶々として、のた打ち回るほど苦しんでいる状態なのだ。

そんな大げさなこと、と言われるかも知れないのだが、金魚にしても小鳥にしても、宝石のように美しい生命に惹かれて止まないのだが、余りにも幼気で、細心の世話をし続けなければむざむざ殺してしまうことになりかねないのだから、迂闊に手を出せないのだ。

どうしてこれほどまでに、とりわけ生き物に夢中になってしまうのか、自分でもよく分からない。
小鳥と金魚だけではない、むろん今でも犬、猫が欲しくてたまらないのだが、最早、自分自身が犬、猫のように面倒をみてもらわねばならないような始末である以上、それは無理というものなのだが、せめて小鳥か金魚ならば何とか自分で世話ができるのではないかと考えているのだ。

中世、後白河法皇が狂って(熱中して)「梁塵秘抄」を編んだ。今でいえば流行歌ということになるのだろうか。
その中によく知られた唄がある。

「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ
遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそ揺るがるれ」

NHKの大河ドラマ平清盛のテーマであったというこの唄は、とても意味深いものがあって、常々私の愛唱歌でもあるのだが、さすがに節はつけない。
しかしこの唄の意味は、平清盛ほどの修羅場を生きた人間にしか分からない心境なのではないかとも思うところがある。

この前のブログにも道楽のことを書いたが、道楽、遊び心、喜びとか、そういう心境に到達することこそが、人の生きている意味、目的なんじゃないか。そう思う。
だから小鳥か金魚を何としても飼って、飼い果せてみようと、今日決断した。
by threewedge | 2014-06-20 14:11 | Comments(2)

犬と同じでグルメじゃない私

最近になって、家族から大ひんしゅくを受けて少し落ち込んでいるところだ。
どうも歳のせいか、些細な批判にもずいぶん弱くなってきていて、心が折れるほど落ち込むことすらある。

その、ひんしゅくの訳は、私が、食い物の話しばかりしている、というものだ。要するに食い意地が張っていて卑しい品性を感じるらしいのだ。
犬のことばかりを考え、犬と生活を共にしていると、だんだん犬に似てきて、犬のように食い意地が張ってきたのかも知れないのだが、そのことは今に始まったことではない。

確かに以前よりその気が強くなったところがあるような気もしている。
朝飯にしろ夕飯にしろ、もしかするとこれが最後の飯になるかも知れないと、いちいち意識しているわけではないのだが、一箸一箸を口に運び、ゆっくり噛みしめ味わう、その瞬間が、妙に愛おしくてならない。

私の場合、酒が主で、食べ物はすべてつまみという位置付けで、ちびりちびりとやっているのだから、普段でも時間が掛るのは止むを得ない。
それが最近はその倍くらいの時間が掛るというか、容易に終わりがない感じなのだから、とても一緒に付き合ってはいられないだろうが、せめて文句は言わないでほしい。

私の育った時代は、早飯早糞芸のうちといわれ、もたもた飯を食っていようものなら怒鳴られた。
それが今の時代は、食べ物についての情報が一つのジャンルになっていて、あらゆる食べ物がランキングされるようになっている。
東京ラーメンランキングとか、何でも順位をつけられて口コミなども紹介されていて、それを頼りにあちこち食べ歩く、即席グルメ人も激増しているようで、その薀蓄もただならないものがある。

私の場合、食べ物の話ばかりしていると悪評をかっているのだが、近ごろのグルメとは全く違う。ただ、豆腐と納豆、そして珍味のなめもの、付け加えるならばサバ缶に少しうるさいことを言うくらいのものだ。
それだけのものを一箸一箸楽しんでいるだけなのだ。時には酒の肴を口に入れて味わいながら、不覚にも涙することすらあるのだ。
どうか、そんな些細な喜びくらい、そっとしておいて欲しい。
by threewedge | 2014-06-08 14:55 | Comments(0)

犬や猫を飼うのは趣味と言っていいのかどうか

昨今、科学や医療、また芸術など、様々な分野において旧来の権威が音を立てて崩れ去る様子を見せられて唖然としている。
歌の文句じゃないけれど、どうせ騙されていることは分かっているのだから、せめて騙し続けて欲しかったと思ったりする。

こんな時代には鬱々とした気分にならざるを得ないが、もし、そんな気分を救う手立てがあるとすれば、その一つは宗教であり、もう一つは道楽(趣味)じゃないかと考えている。

宗教と言っても、求道で苦行したりすることでなく、イワシの頭でも恵方巻きでも何でも良いし、俗臭ふんぷんとする現世利益であろうが何でもいいのであって、とにかく信じる者は救われるのだ。
何故救われるのかと言えば、すべての宗教が究極的には苦,罪からの救済を目的としているからである。つまりそれは楽観主義(オプティミズム)であり、そうであるからこそ、良し悪しは別として宗教の持つ一面であることに変わりはない。

そして、道楽(趣味)も身心を救う有効な手立てだろうと思う。
何でもいいから好きなものに夢中になり、周りから少しおかしいんじゃないか、と思われるくらい熱中する対象があれば、これまた救われることになるのではないか。
犬や猫を飼うことも道楽というまでに値するほど熱中するならば、それは明らかに救いをもたらすに違いない。

犬や猫を飼う、あるいは暮らすことを、道楽(趣味)などとはとんでもないとか、宗教を楽観主義などと決めつけるのは、宗教を冒涜するものだなどと目くじらを立てるようだと、そのような人は生涯救いようのないあんにゃもんにゃだと思う。
あんにゃもんにゃ、ってどういう意味?
それは、私の道楽の落語、古今亭志ん生の「火焔太鼓」の一説なのだが、そんな寄席道楽も身を救けるもので、粋という日本特有の美学を少しは身に付けることにも繋がった。
by threewedge | 2014-06-06 16:56 | Comments(0)

道楽仲間が逝ってしまった

相変わらずジャズばかり聞いていて、ふと気付いたことがある。
毎日聞いているプレイヤーは、ほとんど生存している人がいない、という、当たり前と言えば当たり前の話かも知れないが、そんなこと考えてもみなかったので気付いてから少し感傷に浸る気分でジャズを聴くことになった。

そんな気持ちになったのも、畏友のOさんが急逝されたタイミングだったせいかも知れない。
Oさんは60年来、シェパードを飼い続けた方で「レイ」を育てることになったのもOさんからの要請によるものだった。
Oさんはシェパードのほかに、盆栽の世界でも知られた人だった。また写真もハイアマチュアのレベルで、毎年グループの写真展を開いていた。

それぞれの世界で、いわゆる数寄者といえるレベルの道楽加減で、それはOさんの本業から考えればちょうどいい塩梅の入れ込み具合だったと思う。
このへんが、私のような馬鹿と比べると先輩の方が遥かに大人だったからなのだが、それでも好きな道の話になるとまるで子供のようになってしまう。

私は常々思っていることがある。人間、いくつになっても子供心を無くしてしまったら面白くも何ともない人生を送ることになってしまうのではないか。
還暦でも過ぎれば、いわば本卦還りということで、体中にこびりついてしまった錆をすっかり落として生まれ変わった方が良い。
生まれ変わるということは、これまでと全く違う価値観を身につけることともいえる。

このことは、それほど難しいこととは思えない。
夢中になれる道楽をひとつ見つければいい。道楽という言い方はもしかすると死語になっているかも知れないので、言い換えるならば趣味というだろうか。あるいはライフワークという言い方もあるのだろう。
とにかく単純に大好きなことに夢中になればいいのだ。誰に何と言われても、そんな雑音にはとらわれる必要など全くない。

今日はダービーだが、ギャンブルは趣味や道楽などではない。いうならば人生を賭けに晒すのであって、この道にはまったら薬物と同じで、確実に身を滅ぼす。
私は全くギャンブルをやらない。ギャンブルをやらなくも四六時中ドーパミンが出っぱなしで充実した時間を過ごすことができている。
それは二つの理由による。
その一つは仕事。二つ目は有り余るほどの道楽の多さなのである。
by threewedge | 2014-06-01 15:39 | Comments(0)