イヌやネコたちと共に暮らす人々と100CLUBとの日々


by threewedge

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

facebook /twitter



twitterページへ

以前の記事

2016年 06月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月

最新のコメント

楽しみにお待ち申し上..
by threewedge at 14:50
ぜひ伺います。
by 吉岡 at 10:48
コメント有難うございます..
by threewedge at 22:41
心中お察し申し上げます。..
by 吉岡と申します at 21:40
有難うございます。馬肉と..
by threewedge at 10:16
待ってました!パッケージ..
by chamiba2 at 04:27
chamiba2さん ..
by threewedge at 12:18
読みました。購入した事の..
by chamiba2 at 03:53
私の発言は敵ばかりを作る..
by threewedge at 11:03
以前貴社のカルシウム..
by noriran at 13:35

外部リンク

最新の記事

藻類について学んだ
at 2016-06-20 11:44
回想話は止めにして
at 2016-06-17 15:55
回想の記 その4
at 2016-03-25 15:58
回想の記 その3
at 2016-03-13 15:40
回想の記 その2
at 2016-03-04 18:20

検索

画像一覧

<   2015年 04月 ( 7 )   > この月の画像一覧

馬肉に匹敵する食餌とは

以前、3ヶ月ほど米を抜いた食事、つまり、カーボーハイドレート(炭水化物)を食べずに過ごしたことがある。
目的はダイエットではなく、「炭水化物が人類を滅ぼす」という本に影響を受け、ちょっと犬や猫の気分になってみようと思っただけだ。


その結果、3ヶ月で6Kg痩せて、ずいぶん楽になって喜んでいたところ、4ヶ月目で正月が来て、大好きな雑煮をたらふく食べてしまい、すっかり米好きが戻り2~3Kgリバウンドしてしまった。


最近アメリカでは、小麦や大麦、ライ麦などを使った食材であるパン、パスタ、ピザ、クッキー、ホットケーキなどを食べないグルテンフリーが大流行しているそうだ。

アメリカでも日本でも、健康志向、美容思考がきわまった感がある。


d0290407_14420543.jpg

このような傾向を良と捉えるのか否かはそれぞれの選択で、人間の食に関しての意見は持たないが、犬から目線で考えるならば、肉食動物なのだから、いわばグレインフリー、シュガーフリーの食餌が望ましいことは当然なのである。

その食材なのだが、生のまま食べられる食肉については、馬、鯨くらいしか考えられず、鹿、いのしし、ラム、そして牛、豚、鶏もまた、生で与えることが出来ない。

しかし馬肉が、ここまで品薄になり、高騰している状況を考えると、今から馬に変わるべき食材考え、備えをしておかねばならないと思っているのだが、新たな商品を作るとなるそれは簡単なことではない。


今一番欲しいのは、何よりも自身の若さである。

若いときなら、この問題を解決すべく、寝る間も惜しんで日本中を駆け巡って、何が何でも商品化することができたと思う。

今の自分は、何をやるのもこれまでの5倍の時間がかかり、下手をすると、最初の過程で何を考えていたのか、はじめから考え直さなければ忘れてしまうのだから、堂々巡りで一向に事が進まない。


こんなことをしていると、犬や猫たちに理に適った健康食を充分に与えたいという理想を実現することが出来ないまま終わってしまう。

馬肉が必要充分入手できるならそれでいいのだが、いつもたらずまいである以上、馬肉に同等の商品をどうしても作らねばならない。


by threewedge | 2015-04-26 14:35 | Comments(0)

「最後のオリジナル商品」

先月の石巻に続いて、一昨日は塩竃に出掛けた。

昔なら夜中でも車を飛ばして一人でも飛んで行ったものだが、今の私にはとてつもなくハードな行動で、付き添いなしではどうにもならない。

そんな思いをしてでも、どうしてもやらねばならないと勢い込んでいるのには訳がある。


大震災の年、9月だったと思うが塩竃に行ったことがある。

それは、震災があって一週間を過ぎたころ、突然「私、生きてます!」という驚きのメールが飛び込んできたのだ。塩竃に住む懇意のお客様のKさんからだった。


すぐにでも飛んで行きたかったのだが、しばらくは来ないでください、ということだったので塩竃に行ったのはその年の9月になってしまったのだった。

しばらく来ないでくださいと言ったのは、余りの街の惨状を見せたくなかったとのKさんの思いだったことを後に知ることになった。


また、ショップのお客様の(その時はお客様ではなかったのだが)I さんは、初めてショップに来られて、震災で保護されている犬や猫たちに100CLUBの商品を送ってやって欲しいといわれ、大量の馬肉のジャーキーを福島の保護センターに送られた。


このたびの石巻、塩竃での仕事の、そのきっかけはあくまでも偶然なのだが、このように考えてみると、東北大震災を期に何となく不思議な縁を感じざるを得ない。


d0290407_12360967.jpg
いま、創業以来、ちょっと気合を入れた新商品の研究開発に着手したところだが、やること成すことが仕事の分野それぞれに、抜き差しならない「縁」というものを意識させられる。


私は、たびたび仕事は何をやっているのですかと尋ねられることがあるのだが、いつも一瞬言葉に詰まる。

犬や猫の食餌の製造販売というのが正確な言い方なのかも知れないのだが、どうもその言い方がしっくり来ない。

ペットフードを作っているという言い方も、従来のペットフードを否定し続けているので少し引っかかる。

馬肉やでもないだろうし、本当に困ってしまうのだが、何しろこんな年になって犬や猫に夢中になっていること自体、何となく恥ずかしいところがあることも事実だ。


by threewedge | 2015-04-22 12:28 | Comments(0)

生命に託された使命

もし、私たちの身の回りに犬や猫がいなかったとしたら、何とも殺伐とした生活になってしまうのではないだろうか。
また、もし私たちの目に毎日触れる花や樹がなかったとしたら生きる道標を失ってしまうのではないだろうか。

ありがたいことに、私には毎日一緒に暮らす犬がいるし、一年の季節を知らせる花や樹に囲まれた大いに恵まれた環境にも暮らしている。

東京のような都市にとって、公園の存在は大変ありがたいもので、良く手入れの行き届いた花や樹が目を楽しませてくれる。砧公園では1万本以上もの樹木があるのだそうだ。
毎日それを漫然と眺めているだけでは能がないと思い、先日公園の管理事務所を訪ね、公園に植樹されている樹種の地図がありませんか、と聞いてみた。

すると事務所の受付にいた女性が、4枚ほどの資料をコピーしてくれた。
そこには、公園の何処にどんな樹種が植樹されているのか、100種くらいが示されていた。
毎日公園の中を通っているのだから、これらの樹の1年間の姿を記録してみたいと思い立ったのだが、果たして貫徹できるかどうか自信はない。

d0290407_17552700.jpg


ところで、犬も猫も、花も樹も、人間が適正な管理をしなければまともには育たない。

例えば、桜の名所といわれるところでは、何人もの桜守が年中管理を怠らない。

本当の自然林では、倒木更新や山火事など、また野生の動物では自然淘汰といったように、自然の摂理にしたがって輪廻転生が脈々と流れている。

しかし、一度人間が関わった自然、つまり、犬や猫たち、そして公園の樹木や桜などのクローン樹は、徹底的に手を掛けなければその生命を健全に保つことは適わない。


適正に手を掛けるということは、言い換えれば技術ということであり、巧拙が伴うことになる。

犬や猫の飼養にも巧拙があり、健全に育てることが巧みな飼い主であれば、犬も猫も立派で生涯健康に育つのであり、花も樹も、巧みに丹精を込めれば美しい花を咲かせることができるし、樹勢の乗った樹にも成長するのだ。


自然の生命に手を掛けるということにおいて、その結果責任は、すべて私たち人間に託されていている。

その技術の巧拙、愛情、情熱など、そういった要素が、私たちを限りなくなぐさめてくれる生命の命運を担っているといって過言ではない。

それらの1点でも欠けていれば、自然に手を掛けることなど、やってはならないことなのだと思う。


by threewedge | 2015-04-15 17:57 | Comments(0)

マスターズが始まった

今日の早朝から、ゴルフのメジャー大会の一つ、マスターズトーナメントが始まった。

世界で最も美しく戦略的なゴルフコースとして知られるオーガスタナショナルゴルフコースには、日本ではまだ開花していないアゼィリア(南方系のツツジ類)が満開で、ドッグウッド(ハナミズキ)も見事に咲き誇っていた。

ジョージア州のアトランタの郊外にも、ドッグウッドの巨木が多く、この時期には住宅街が花に埋もれるような光景が見られる。


日本では、街路樹や公園、そしてゴルフ場などにしても、アメリカの各地にあるような巨木が数少ないが、余りに国土が狭いため、木の枝を自由に四方八方に伸ばすことができないため、剪定ばかりを繰り返すことで樹も枝も、ちぢこまった感じで雄大さに欠ける。だから盆栽が盛んになったのかも知れない。

d0290407_13071011.jpg

私は、1991年、ジョージア州オーガスタのマスターズトーナメントを4日間観戦する機会を得た。

その時優勝したのはイアン・ウーズナムで、最終ホールまで同スコアだったトム・ワトソンが右の林に打ち込んで負けてしまった。アメリカのヒーローがウェールズのウーズナムに負けたことで、これは大変なことになるのではないかと思ったのだが、オーガスタのパトロン(観客)は、勝者をたたえ、なお敗者にはより盛大な声援を送った。

ついでの話だが、「ジョージア・オン・マイ・マインド」はジョージア州の州歌であるが、レイ・チャールズが黒人差別に反対してコンサートをキャンセルしたことで、レイはジョージア州から追放されたのだが、後に州議会が追放を撤廃し正式に州歌として認められることになり、その後ミリオンセラーとなった。


100CLUBのスタッフ犬だった「レイ」はこの話から名付けられた。



by threewedge | 2015-04-10 13:02 | Comments(0)

「自然の力を信じたい」

私は、犬や猫たちと同じくらい樹が好きで、一時は盆栽に熱中した頃もあった。

樹が好き、という言い方はちょっと変わった言い方のような気がするが、「人はかつて樹だった」という長田弘の詩集に感銘を受けて以来、樹が好きだ、という言い方が気にならなくなった。


世田谷区に住んで30年くらい経つが、去年、大蔵に越してから、毎日、砧公園を端から端まで自転車で通り抜けショップに通勤しているが、時折、気になる樹や花などが咲いていると自転車から降りて少しの時間でも眺め楽しんでいる。


私の住んでいる界隈は、砧公園、駒沢公園、馬事公苑、蘆花公園など、長い歴史を持つ公園があって、常に季節を感じられ、また鑑賞価値のある古樹も少なくない。

公園の樹木を自然といっていいのかどうか分からないところもあるが、盆栽などに比べると、けれんみのないところなどは自然樹といって良いのではないかと思っている。

d0290407_13495446.jpg

犬にしても猫にしても、もはや野生ではないのだから、自然界の動物ではないのかも知れない。しかし、あらゆる行動は何万年と続く習性をそのままに残しているのだから、やはり自然物といって間違いではないだろう。

近年、人間そのものはいずれにしても、現代文明の進歩は著しいものがあって、もしかすると、その文明の進歩によって、私たち人間の自然性が失われているような気もしている。


そのままでいいものかどうか、もしこの進歩の方向性が誤ったものであったとすれば、私たちが拠って立つ地球環境も、人間としての寄る辺も、ものすごく不確かなものになってしまうのではないか?という危機感を持たずにはいられない。

そのように感じるのは自分だけなのだろうか。


これからも私は、犬そして猫の、その肉食動物の食性に沿って最もふさわしい内容の食餌を、馬に限らず提供し続けていこうと決意している。

それは、犬も猫も、そして私自身も、ありのままの自然体でありたいと望むからに他ならない。


犬や猫を愛して止まない人たちは、人間の持つ素朴な自然性、そして慈愛の心を持つ人たちに違いないと思っている。

自然を愛することは素晴らしいことであるし、私たちそのものが自然なのだ。

その方たちのためにも、もうひとふん張りしなければならないと思っている。


by threewedge | 2015-04-08 13:42 | Comments(0)

「珀」と私は一心同体

犬の事どもについては、あらまし理解しているつもりなのだが、このところ、これまで体験したことのない犬の行動が気になって、これが一体どういうことなのだろうか随分考え込んでしまった。


犬の一生に付き合ってみると、仔犬時代の愛らしさ、そして壮年期の凛とした美しさ、母犬の仔犬を育てる神々しさ。

どの時代をとっても、犬たちに対する愛おしさに変わりはないのだが、最近になって、犬というのは老犬になるほど面白みが増すのではないかということに気がついた。


「珀」のことなのだが、このところ、どこか身体の具合でも悪いのだろうかとも思い、かれこれ5年以上も獣医さんに連れて行っていないので、一度検査でもしてもらおうかとも考えたのだが、秋田犬の11才ともなれば、こんな感じなのかも知れないなぁ、と思ったりもしていた。


目も相当悪くなってきているようだ。

散歩中に電信柱にぶつかってしまったり、駐車中の車に当たってしまったりと情けないこと甚だしい。

耳も遠くなってきたようで、「珀!」と呼んでもすぐに振り向くこともない。

ひどいときは散歩で何の障害物もないのにけつまづいたりもすることもある。

昔は秋田犬らしく、ずいぶん立派な太い巻き尾だったのだが、今は力なくだらりと尾は下がったままで、犬種がなんだか分からないような有様だ。

それでも、相変わらず食い意地だけは張っていて、おやつのジャーキーを与える時などは目を輝かせ、普段は下がったままの尻尾まで振ってみせる。


若い頃は、それほど甘えるような子ではなかったものが、最近はショップ内で私の動くところに付いて周り、今でもディスクに座った足元に寝そべっているし、ときどき私の肘の下から首を突っ込んできて腕を持ち上げてしまい仕事にならなくなってしまう。

おやつをくれと言いたいのか、散歩に行きたいとせがんでいるのか、何を言いたいのか良く分からない。


そんな訳で、日がな一日「珀」から目を離す事はないのだが、つい先日、はたと気が付いたことがある。

「珀」のやることなすことを見ていると、これは今の自分とほとんど変わらない老化の現われなのではないか。


これまで飼養していた高齢の犬たちは決して少なくはないのだが、それを面白いと感じたことはなかった。

なぜなら、これまでは自分がそれほど老人ではなかったのだから、犬たちの老人振りが実感できなかったのではないだろうか。


そう考えてみると、「珀」の一挙手一投足を改めて観察すれば、今の私自身とまったく変わらないのではないか。

このことに気が付いてから、これまでも「珀」を他人とは思えず愛おしく思ってきたのだが、そんなどころではなく、お互い70歳同士、ヨロヨロしながらも余生を楽しもうじゃないかと、「珀」と私は、ほとんど一心同体といった新たな付き合いが始まった感があり、どうにも楽しくて仕方がない。


by threewedge | 2015-04-05 15:37 | Comments(0)

水族館に猫が展示される

鳥羽水族館に猫が展示されたことが話題になっているという話を聞いた。

スナズリ猫という種でベンガル猫の系統だという。

浅い水溜りに生きた魚を放ち、それを捉えて食べている様子が動画で撮られている。

この猫は珍しくも、魚肉動物なのだという解説もある。


昔の話である。

光風会という洋画の会の大家であったS先生が、どうしてもランチュウが欲しいので金魚屋を紹介してくれないかと頼まれた。

そこで、私の知り合いのランチュウの繁殖所を紹介し、ある日S先生を連れて行った。


絵描きさんだから、美的感覚にも優れているのだろうと思うのだが、たくさんのランチュウが泳ぎまわっている水槽をしばらく眺めていて「これだ!」と、1匹の立派な雄のランチュウを指差した。

結局、雌も欲しいといことで、かなり高価なランチュウ2匹を購入し、おまけしますということで、やはり雄雌だという、おまけらしく、購入したランチュウに比べるとかなり見劣りする2匹と、合わせて4匹のランチュウを手に入れた。


金魚屋の帰り、私の車の助手席に座ったS先生は、ビニール袋に1匹ずつ分けられた高価なランチュウと、2匹一緒に入れられたおまけのランチュウの入ったビニール袋の3袋を大事な宝物を扱うように膝に乗せている姿はまるで子供のようだった。


その翌日のことだった。

画廊に着くとまもなくS先生から電話が入り、「やられちゃったよぉ~」と、泣き叫ぶかのような大声で、昨日購入したランチュウを用意していた水槽に収め悦に入っていたのだが、朝になって早速水槽を覗いてみたら、4匹泳いでいたランチュウが2匹になっていた。それも消えてなくなっていたのは高価で立派なランチュウの方だったのだと興奮気味に縷々語ったのだ。


私も、その騒ぎを電話で聞いただけでは済まされないと思い、すぐさまS先生のアトリエに駆けつけることになった。

アトリエに着くと、S先生は庭に据えられた水槽の傍らに呆然と立ち尽くしていた。

先生は「猫にやられたんだ!」と言った。

「野良猫ですか?」と私が聞いてみると「いやぁ~俺の猫なんだ」というので「さすが先生の猫ですねぇ。ちゃんと立派な方に狙いをつけるもんですねぇ」

そう言ってから、しまった!と思ったがもう遅い。

先生は地団太踏んで、今にも涙がこぼれそうに顔をしかめていた。

水槽には、おまけのランチュウ2匹が何事もなかったように悠々と泳いでいた。


かくのごとく、どんな猫でも魚を狙って食べるのであって、スナズリ猫だけが特別な訳ではないのだ。

英国では、魚を主体としたペットフードが主流であるという情報もある。


by threewedge | 2015-04-01 11:48 | Comments(0)